「トリックオアトリート」
何故降りて来たかは知らないが、女が横から覗き込んでくる。
無視して作業を続けていると、彼女は私の袖を引っ張って
「トリックオア」
椅子を彼女側に回転させ限りなくゼロ距離に近づいて
「トリーーーート」
そう言ってみせた。
仕方が無いので、なるべく目を合わせないようにする。
「……甘いものは太るからいらないんじゃなかったんですか」
彼女にお菓子を勧めるたびに言われる台詞をそのまま返した。
「今日はハロウィンだからいいんですー」
「日本にはハロウィンの慣習はないと聞きましたが」
彼女が肘かけから手を離したので、
私はパソコンに向き直って皿の上のお菓子を一つつまんで口に放り込んだ。
別になくなれば補充してもらえるのだからあげたっていいのに、
我ながら何故こんな意地悪をするのか分からない。
彼女は唸るような声をあげて少しの間じたばたすると言った。
「くれないなら、いたずらするわよ」
「どうぞ」
私は短く答えてキーボードをたたき始めた。
そうして彼女も私を暇つぶしに使っているんだろうと思った。
しばらくの沈黙があった。
「竜崎さん」
「はい」
「竜崎さんってば」
どうやら作業を止めろということだったらしい。
私は手を止めてやって横目で彼女を見た。
何やらにやついている様子だった。いたずらの内容が決まったのだろう。
彼女はさっきのようにゼロ距離に近づくほど接近して
それから頬に柔らかい感触があった。
思わず息が止まった。
「びっくりした?」
彼女が悪戯っぽく笑って言った。
私は平然とした様子で
「私はこんなことで二度もびっくりしません」
と言ってみせた。
彼女は当然「こんなことって何よ」と怒った。
と思ったら、私のお菓子を両手にひとつずつ持ち上げた。
「あ」
彼女は意表をついて上機嫌といった風な足取りで階段を駆け上って行ってしまった。
「………ずるいですよ」
彼女の足音が聞こえなくなってから、
隣の男にも聞こえないくらい小さく呟いた。
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